上宮寺



岡崎市昭和町



永禄5年(1562)秋、徳川家康家臣が上宮寺から兵
糧米を強奪しょうとした。これが一つの発端となり、
本願寺門徒を中心とする三河一向一揆がはじまった。
一揆は一年半近く続いたが、最後は寺方が疲弊して
家康と和議を結んだ。しかし、これは実質の降伏で
あり、僧侶は国外退去、寺院は破却という処分に
あい、三河の地では以後20年間本願寺系寺院の
禁教がなされた。徳川家康が本願寺系寺院をよう
やく赦免したのは天正11年(1583)であるが、それを
願い出たのが松月院妙春尼(妙西日本尼)であった。
彼女は石川安芸守清兼の後室で家康の近臣石川
日向守家成の母であるが、家康の母・於大とは姉妹
であり、家康の乳母をも勤めた女性である。そのため
家康に強い影響力を持っていた。と同時に熱心な
本願寺門徒であり、三河の僧侶が退去中、代りに
国内に残った門徒衆を束ねる役割をになっていた。
当寺ではそのように三河の本願寺教団の赦免・再興
に尽力した妙春尼を偲ぶため遺髪をもって墓とし、
後世に伝えている。         (案内板より)







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