養徳院(乳母)
織田信長の乳母(養徳院)の夫・池田恒利の墓
西美濃春日局ゆかりの地・養源院跡
岐阜県揖斐郡池田町本郷
信長像 春日局出生地
愛知県西春日井郡清洲町 岐阜県揖斐郡揖斐川町白樫字大谷
岐阜県揖斐郡にある春日局出生地の帰り、道国道417号線を大垣方面に向っている
時、春日局と織田信長ゆかりの地の案内板があり、不思議でなりませんでした。
養源院跡には、春日局の祖父の墓や織田信長の乳母(養徳院)の夫・池田恒利
の墓が同じ場所にありました。
養徳院
1515年生まれ。池田正秀の娘。近江(滋賀県)の滝川恒利を婿にむかえ、
1536年池田恒興を生み、同年織田信長の乳母となる。
夫・恒利の死後、織田信秀の側室となり、信長の妹を生む。
このため恒興は織田信長に厚遇された。
1608年死去。94歳。
池田氏
池田氏は、源頼光の玄孫泰政が、美濃池田郡池田荘(岐阜県多治見市)に
居住して池田氏を称したのにはじまるというが、出自には不明なところが
おおく、池田恒利が織田信秀につかえたころからでなければ確実なこと
が分からない。
池田輝政、徳川家康の娘督姫を継室とする。関ヶ原の戦いでは、東軍に属し、
戦後、播磨52万石を与えられ、姫路城を築城。
光政の代に岡山31.5万石に移封。その後鳥取32万石に移封。国持ち大名として
明治維新を迎える。
春日局の父・斉藤利三の母は光秀の妹だったともいわれ春日局と光秀の関係はきわめて
深い。
光秀と信長は、複雑な関係だったのかもしれませんね。
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