吉田城
豊橋市
吉田城
吉田城の歴史は、永正2年(1505)、今川氏の
被官であった一色城(豊川市牛久保町)城主の
牧野古白により、その前身の今橋城が築かれた
ことに始まる。(明応5年説もある)。
戦国争乱の世の中で、東三河の要であった今橋
城は、今川・武田・松平(徳川)ら戦国武将の
激しい攻防を繰り返す中で、名も今橋から吉田
と改められた。永禄8年(1565)、徳川家康は
今川氏の東三河における最大拠点であった
吉田城を攻略し、ここに酒井忠次をおいた。
天正18年(1590)、家康の関東移封によって、
池田輝政が15万2千石で入城し、城地の拡張
と城下町の整備を行ったが、慶長5年(1600)
関ヶ原合戦の後、播州姫路に所替えとなった。
幕藩期には東海道の要衝として、竹谷松平2代、
深溝松平2代、水野忠清、水野忠善、小笠原4代、
久世重之、牧野2代、大河内松平の松平信祝、
本庄松平の松平資訓、そして再び大河内松平
7代と譜代大名が在城したが輝政によって
拡張されたこの城も、財政的要因のため
完全に整備されないまま明治に至った。
吉田城からの眺め
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