横須賀城








戦国時代末期この地方は西の徳川勢力と東の武田勢力
との境界地帯となって攻防が続いていました。天正2年
(1574)遠江国の要である高天神城が武田氏の手に
落ちました。天正8年(1580)徳川家康は、家臣の大須賀
康高に命じ高天神城を奪還するための拠点として横須賀
城を築かせました。康高が初代城主となり、以後、明治
維新に廃城となるまで288年20代の城主を数えました。

撰要寺



山門は横須賀城の不開門(あかずの門)
を明治の初め廃城時に移築したもの。

戻る