淀君・フォトストーリー



福井市(北の庄城址にて)

浅井長政とお市の方
浅井長政とお市の方
滋賀県東浅井郡湖北町・河毛駅前
1567年浅井長政と織田信長の妹・
お市の方の子(茶々)として生まれる。

浅井長政・お市一家

お市の里・滋賀県東浅井郡浅井町



家族(長政とお市)



滋賀県

浅井長政自刃之地
浅井長政自刃之地
小谷城・赤尾屋敷跡にて
滋賀県東浅井郡湖北町伊部
1573年父・浅井長政、織田信長に討たれ、
小谷城で自刃。


本能寺址
(京都市中京区元本能寺南町)
1582年6月2日 本能寺の変。          

山崎合戦之地
山崎合戦之地
京都府乙訓郡大山崎町
1582年6月13日秀吉、山崎の戦いで光秀を破る。

清洲城
清洲城
愛知県西春日井郡清洲町

1582年6月27日清洲会議。             

1582年夏頃母・お市の方は、柴田勝家と再婚。 
この時、茶々は16歳。 
(再婚時期は、清洲会議の後が通説。その他にも
小谷城落城の直後、清洲会議の直前とか諸説ある。)
通説通り、清洲会議の後に再婚したとなれば、茶々の
母は、豊臣秀吉ではなく、柴田勝家に人生をかけたと
言えるのではないだろうか。16歳の茶々は、母の
思いをどのように受け止めていたのだろうか。

柴田勝家像
柴田勝家像
滋賀県伊香郡木之本町
1583年賤ヶ岳の戦いに敗れ、養父・柴田勝家と
母・お市の方は自害。

1589年茶々、豊臣秀吉の側室となる。
寧々(ねね)の歌碑
寧々(ねね)の歌碑
ねねの実家・浅野長政公邸跡にて
愛知県一宮市浅野(浅野公園内)
たちばなを庭のまがきに眺むれば    
            雲井の花を恋しくぞ思ふ
淀君とねねはどのような関係だったのだろうか。 

淀古城

京都市伏見区納所北城堀

1589年豊臣秀吉が淀城を再興。
側室淀殿の居所として築城。

1593年淀君、豊臣秀頼を生む。            

1598年豊臣秀吉没す。                 
辞世の歌                    
露と落ち露と消えにし我が身かな
               なにわのことも夢のまた夢

関ケ原の戦い決戦地
関ケ原の戦い決戦地
岐阜県不破郡関ヶ原町
                       1600年関ヶ原の戦い。                                      

1603年徳川家康、江戸幕府を開く。        

1603年豊臣秀頼、徳川秀忠の娘・千姫と結婚。 
  千姫は、淀君の末の妹・江与の方の娘にあたり、
3代将軍徳川家光の姉にあたる。
  豊臣秀頼は、妻・千姫とも徳川家光とも
従兄弟という事になる。なお、淀君のすぐ
下の妹・お初は京極高次に嫁いでいる。

 ちなみに、牧田合戦(1525)では、浅井亮政と
稲葉通則は戦っている。稲葉通則と4人の子は戦死。
稲葉通則の第三子の孫が春日局、浅井亮政の孫・
長政の子が淀君。そして、家光と秀頼、このように
歴史は続いている。なんと難しいことか。



1614年方広寺の釣鐘事件が起こる。
大阪冬の陣が始まる。

大阪城
大阪城
大阪市中央区大阪城
1615年大阪夏の陣が始まる。          



豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地
豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地
大阪市中央区大阪城
  大阪城で淀君、豊臣秀頼、自害。 

太融寺

太融寺
大阪市北区太融寺町

淀君の墓
淀君の墓
太融寺内



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