弥助


天正
9年2月23日に、ヴァリニャーノが信長に謁見
した際に奴隷として引き連れられてこられた。

本能寺の変の際、弥助も本能寺に宿泊。
信長が死ぬと二条御所に戦った末、明智軍に捕縛。
命は取られず、南蛮寺に送られる。


弥助は、何を見たのだろうか。

南蛮寺


京都市中京区室町

南蛮寺
織田信長の時代にヤソ会によって建てられた
南蛮寺は、この北側、姥柳町の地にあったと
推定される。戦国末期、京都でのキリスト教
布教は、永禄2年(1559)から本格化し、
永禄4年にこの付近に礼拝堂が設けられた。
数々の迫害にあいながら、ヤソ会宣教師は、
布教に努力、織田信長の保護もあって信者は
拡大した。天正4年(1576)、古くなった礼拝堂
を再建することにし、数百人の信者の協力と
所司代村井貞勝の援助で完成、献堂式のミサ
が行なわれた。これが、南蛮寺で、京都にお
けるキリスト教と南蛮文化の中心となった。
しかし、天正15年(1587)九州征伐を終えた
豊臣秀吉は、宣教師追放令を発し、キリスト
教弾圧に転じた。南蛮寺もこのときに破壊さ
れ、ついにこの地には復興されなかった。





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