山崎片家


山崎山城

彦根市稲里町

山崎山城
織田信長が山崎氏に命じて安土築城と同時に整備
したとみられ、安土山から北へ直進する下街道が、
山崎山で人為的に「コ」の字状に屈曲していることから、
山崎山城は街道への敵の侵入をはばむ障壁の役目
を負っていたと考えられる。さらに北には佐和山城
がある。この重要拠点である山崎山城の山崎片家は
本能寺の変後、一時、明智光秀に属している。
ほどなく秀吉にくら替えし、山崎の合戦後、
犬山郡山崎の地を安堵された。



山崎山城は、戦国時代には地元の領主の山崎氏
の居城であり、天正10年(1582)4月21日におい
ても山崎に「御茶屋」を設けて山崎源太左衛門
(片家)が信長を接待したとの記録が残っています。






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