山中山城守長俊 柴田勝家の墓 福井市 天正3年越前の国主として北の庄に赴任した勝家公 は、岡の庄(岡保)天台宗西光寺に帰依し、自らの 菩提所と定め民生安定の根本道場とするため当地に 移し保護した。この墓は豊臣家の祐筆山中山城守 (名長俊)の手によって建立されたと伝えられる。 戻る