氏家卜全
卜全塚
岐阜県海津市南濃町安江
戦国時代の末、氏家卜全(直元)は大垣城にあって
織田信長に仕え、西美濃のなかでも有力な領主の
ひとりであった。
当時長島の願証寺、伊勢、尾張、美濃の農民・漁民
土豪等の浄土真宗(一向宗)門徒を基盤として一大
勢力を誇っていた。信長の天下統一の推進に大きく
抵抗したのが、本願寺であり、その命を受け各地で
一向一揆が組織された。伊勢長島の一向宗門徒も
蜂起して、織田領に攻め込むこと数度に及んだ。
信長は元亀2年(1571)5月、長島一揆平定のため
岐阜城を出発し軍を進めた。
卜全は柴田勝家に属して布陣し、士卒をはげまして
力戦したが長島門徒の反撃はきびしく信長は兵を
返した。その殿軍をつとめた卜全は石津郡安江村辺
の泥沼に馬を乗り入れたため進退の自由を失って
戦死した。しの遺骸を葬った封土が卜全塚である。
土岐頼芸の家臣として仕えたが、斎藤道三によって
頼芸が追放されると、斎藤家の家臣として仕えた。
斎藤龍興とは折り合いが悪かったとされ、稲葉一鉄、
安藤守就と共に、織田信長の稲葉山城攻めで内応し、
以後、織田家の家臣となる。
大垣城
大垣市郭町2-52
1559年 氏家卜全、大垣城主となる。
西軍石田三成は慶長5年(1600)8月10日、大垣城に
入場し西軍の本拠地とした。
戸田氏鉄公騎馬像と大垣城
岐阜県大垣市郭町
戸田左門氏鉄は、寛永12年(1635)7月28日、美濃国
大垣に移封され、新田の開発治山治水事業、文教の
振興などに尽くし、藩政の基礎を築いた。