土山宿



甲賀市

土山宿
土山町は、平安時代に伊勢参宮道が、鈴鹿峠を
こえる旧東海道筋を通るようになって以来、難所
を控える宿駅として発達してきた。源頼朝が幕府
を鎌倉に開くと従来の京都中心の交通路は、京都
と鎌倉とを結ぶ東西交通路線が一層重要視される
ようになり、武士の往来のみならず商人、庶民の
通行も以前に増して盛んになった。とくに江戸幕府
は、伝馬制度を整備し、宿駅を全国的規模で設け、
土山宿は、東海道五十三次の第四十九番目の宿駅
に指定されてから、宿場町として真に隆盛しはじめた。




土山宿本陣跡


土山宿本陣跡
土山宿は、東海道の起点である江戸日本橋より、
106里32町、終点京都三条大橋まで15里17町余
の位置にある。土山宿本陣は、寛永11年(1634)、
3代将軍徳川家光が上洛の際設けられた。土山氏
文章の「本陣職之事」によってわかるように、甲賀
武士土山鹿之助の末裔土山喜左衛門を初代として
之を勤めた。本陣は、当時の大名・旗本・公家・勅使
等が宿泊したもので、屋内には現在でも当時使用
されていたものが、数多く保存されており、宿帳から
多くの諸大名が宿泊したことを知ることができる。

問屋宅跡


問屋宅跡




戻る