坪内利定


松倉城

各務原市川島松倉町



松倉城跡
この地(松倉上ノ島)は、坪内氏の古城跡である。
戦国の頃、加賀国(現石川県)の富樫の庶流坪内
藤左衛門尉頼定が尾張国に来て、犬山城主織田
信康(信長の叔父)に仕えた後、天文16年(1547)
に、初代松倉城主となり、松倉を領地とした。
4代目城主坪内(喜太郎)玄蕃頭利定は、織田信長
に従いたびたびの合戦に臨み、武勲を輝かせた。
しかし、信長没後は羽柴秀吉(豊臣秀吉)と不和と
なり、本領を離れ、一時、金山(現益田郡金山町)
に退くことになる。たまたま天正18年(1590)、徳川
家康に迎えられることになり、慶長5年(1600)
の関ヶ原の合戦には、井伊直正の軍に属し抜群
の戦功をたてた。その功により家康から直々に
感状を賜り、翌年、葉栗、各務両軍において
6533石を賜ることになった。その後、坪内氏は
旗本を仰せつかり坪内宗家は江戸に出府し、
幕府の組織の中で重要な地位を占めた。

樫大神

松倉城坪内氏の墓。
現在の碑のある位置は、木曽川の改修
工事のため、7・80m程南に移動いている。





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