加藤清正

加藤清正像
加藤清正像
名古屋市中区
後ろに見えるのは名古屋城。

清正公石曳きの像
清正公石曳きの像
名古屋市中区・名古屋城



清正石

名古屋城
清正石
この石は加藤清正が運んできたといわれてきた
が、この石塁は黒田長政の丁場であったので、
「清正石」というのは、単なる伝説であろう。


加藤清正出生地
加藤清正出生地
名古屋市中村区(妙行寺)



加藤清正像
加藤清正像
妙行寺



八幡社
八幡社
名古屋市中村区豊端町
加藤清正出陣の時、必勝祈願したと伝えられる。

加藤清正公画像

美和町歴史民俗資料館

加藤清正公は福島正則公のいとこ。
本画の原本は京都・本国寺が所蔵しており、
この肖像画が加藤清正の定番となっている。

清正公社



愛知県津島市上河原町

加藤清正がまだ虎之助といっていた少年の頃、
上河原の叔父の家にいたことがあった。
ある夜、強盗が二、三人おし入り叔父夫婦を
しばって、金目のものを探していた。虎之助
は鬼の面をかぶって、こっそりつづらの中に
かくれていた。盗族共は重いもは財宝が沢山
入っているためだと考えて、かつぎ出して追分
の松原で山分けしようとした。月光の下でつ
づらのふたを開けたとたん「わっ」と叫んで
飛出した鬼の姿に賊共はびっくり仰天あとをも
見ずに逃げ去ったといわれる。このことによって
おめでたいことがあるとその鬼の面をかぶって
大江山酒天童子退治のまねをして祝う「鬼まつり」
をするようになった。この鬼面は明治20年2月21日
名古屋の東本願寺別院に天皇がおいでに
なったときお目にかけたといわれている。
この清正公社には加藤清正がまつってある。

七本槍の勇士
七本槍の勇士
滋賀県伊香郡木之本町

加藤清正像
加藤清正像
滋賀県長浜市(豊国神社)

掘り抜き井戸

京都市北区紫野大徳寺町・総見院

井筒の部分が大きな朝鮮石で彫り抜かれた珍しい
もので、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったと伝えら
れる。今なお井戸水はこんこんと湧き出ており、
毎朝もお供えのお水に使用されている。

加藤清正邸跡

東京都千代田区永田町

井伊掃部頭邸跡
(前加藤清正邸)
この公園一帯は、江戸時代初期には肥後熊本藩主
加藤清正の屋敷でした。加藤家は2代忠広の時に
改易され、屋敷も没収されました。その後、近江彦根
藩主井伊家が屋敷を拝領し、上屋敷として明治維新
まで利用しています。(歴代当主は、掃部頭を称しま
した)幕末の大老井伊直弼は、万延元年(1860)3月
に、この屋敷から外桜田門返済向かう途中、水戸
藩主に襲撃されました。        (案内板より)



江戸の名水「櫻の井」
「櫻の井」は名水井戸として知られた「江戸の名所」
で、近江藩主井伊家上屋敷の表門外西側にあったが、
ここは加藤清正邸跡で清正が掘ったと伝えられている。




光専寺

名古屋市千種区今池2丁目

光専寺は、文禄2年(1593年)、加藤清正
の弟であった祐正が創建したといわれる。



天照寺

高山市



元和4年(1618)越後少将高田城主松平忠輝(家康の六男)は、
高山城主三代金森重頼にあずけられ、当寺に8年間居住し、
寛永3年信州諏訪へ去られた。また、寛永9年(1632)には同様に
肥後熊本城主加藤清正の孫光正が、当 寺に閉居されたが翌年
死去された。高貴の流人が二人も住んだ寺は飛騨では他にない。

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