東山道


                            中山道鵜沼宿
                     

                     鵜沼は古代から、交通・経済の要衝として栄えた
                     土地で県下屈指の古墳や歴史を秘めた城跡・神社
                     仏閣が残っています。特に交通機関では、古代・
                     中世の東山道各務駅や宇留間市の立った所、近世
                     では中山道「鵜沼宿」として宿駅制度の拠点であり、
                     人と物の中心であったようです。碑の建つ現在地
                     は「鵜沼宿」の中心地であり、脇本陣坂井家の
                     跡地で、本陣の桜井家に隣接しています。

                                 内田の渡し
                     

                     
                              各務原市鵜沼南町

                     その昔、ここには東山道・中山道の木曽川渡河地点
                     として内田の渡しがあった。

                                 青墓宿
                     
                                  大垣市

                     田んぼのそばに青墓宿碑が立つ。
                     このあたりが東山道時の宿場であった 。

                     江戸時代、赤坂が宿場に指定される以前は、隣接し
                     た青墓が東山道の宿駅として利用され、「傀儡」(遊女)
                     の宿場として特に有名。赤坂に杭瀬川の渡し場があり、
                     青墓の宿から赤坂の渡し場までの距離が離れてい
                     たため旅人の利便性を考え、赤坂の宿ができた。
                     そのため青墓の宿場が衰退した。


                            不破関関庁跡と兜掛石
                     

                     この辺りに中心建物があったとされ、関内の中央を
                     東西に東山道が通り、その北側の瓦屋根の塀で囲
                     まれた約1町(108m)四方の関庁が設けられ、内部
                     には庁舎、官舎、雑舎等が建ち並び、周辺土塁内
                     には兵舎・食料庫・兵庫・望楼等々が建っていました。
                     ここに祀られている石は、壬申の乱の時、天皇天武
                     が兜を掛けた石と伝えられ、左斜めうしろには同天
                     皇使用の沓脱石があります。

                              沓脱石
                     


                               不破関
                     
                            岐阜県不破郡関ヶ原町

                                不破関跡
                     東山道の美濃不破関は、東海道の伊勢鈴鹿関、
                     北陸道の越前愛発関とともに、古代律令制下の
                     三関の一つとして、壬申の乱(672)後に設けられた
                     とされています。延暦8年(789)に停廃されて後は
                     関守が置かれ、平安時代以降は、多くの文学作品
                     や紀行文に関跡の情景がしきりに記されてきました。


                     
                               滋賀県坂田郡山東町

                               北畠具行卿の墓
                     

                     

                     
                               滋賀県米原市

                     柏原宿散策マップにはこのあたりが東山道となっていた。

                     後醍醐天皇を擁立した討幕計画である元弘の変
                      (1331)の中心人物・北畠具行は、捕らえられ鎌倉
                     に送られる。その途中この地にとどまり、護送する
                     京極高氏によって再三幕府へ助命嘆願されるが、
                     この地で処刑。


                                小野小町塚
                     

                     

                     小野小町塚は、中世の東山道・小野宿とされている
                     同町の南端にある。

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