藤堂高虎


                   明治時代以降に埋められた津城の内堀の一部が、
                   確認された。藤堂高虎が約400年前に造ったとみられ、
                   内堀は江戸城や名古屋城をしのぎ、近世城郭で
                   最大規模だったことが裏付けられた。

                   
                              
三重県津市

                         藤堂高虎像
                   藤堂高虎像
                            
三重県津市お城公園内

                   天文24年(1555)、近江国藤堂村(在土)に生まれる。

                             藤堂高虎生誕の地
                   
                        滋賀県犬上郡甲良町・高虎公園内

                   小早川、脇坂、朽木の寝返り工作を行ったのが、藤堂
                 高虎
だと言われている。                        
                 藤堂高虎は、1573〜1576頃織田信澄(信長の甥)に
                   仕えている。                                
                   光秀の娘は、信長の命により、1574年1月、織田信澄
                   に嫁いでいる。                               
                   本能寺の変のあと、信澄の子(光秀の孫)は藤堂高虎
                   にひきとられている。                           
                   ここにも、明智光秀の影響が見え隠れするのだが。    

                            南禅寺  金地院
                   
                             京都市左京区

                   小堀遠州は高虎の娘を娶っている。

                            小堀遠州出生地
                   
                             小堀町字東方

                   遠州は、天正7年(1579)当地で生まれた。その頃、
                   父親の新助政次は、当時長浜城主であった羽柴
                   秀吉に仕えていた。小堀町の共有文書の中に、
                   江戸幕府が慶長検地に使用した慶長7年8月の
                   年号のある「江州坂田郡小堀村絵図」がある。
                   それには「小堀新助殿屋敷」とあり、ここがすなわち
                   その地にあたる。この東南には「馬かけばんば」、
                   「ばんば堀」、また西南に「ばんば屋敷」などの地名
                   があり、しかも、当屋敷を中心とした付近一帯の地形
                   は、ほぼ絵図のまま今日まで残っており、貴重である。

                   なお、幕末、高虎の後裔は、鳥羽・伏見戦いで、幕府を
                   裏切り、新政府についている。                        


                              戻る