徳川家綱
江戸幕府4代将軍。
3代将軍家光の子。
明智光秀=天海説の理由の1つにあげられている。
徳川二代将軍秀忠、三代将軍家光の名には光秀を連想させる文字が隠されており、
家光の子である四代将軍家綱、五代将軍綱吉に共通する綱の字は明智光秀の父、光綱
の綱と同じである。



徳川綱吉
江戸幕府5代将軍。
3代将軍家光の四男。
生類憐れみの令
堀田正俊
1702年赤穂浪士の討入り。

         綱吉公寄進の鐘

       岡崎市滝町(滝山寺)

徳川家宣
江戸幕府6代将軍。
3代将軍家光の三男綱重の子。
1704年綱吉の養子となり、1709年6代将軍となる。
新井白石
正徳の治


徳川家継
江戸幕府7代将軍。
徳川家宣の子。


徳川吉宗
江戸幕府8代将軍。
紀伊和歌山藩2代藩主徳川光貞の四男。
享保改革


徳川家重
江戸幕府9代将軍。
8代将軍吉宗の子。
病弱で言語に障害があったといわれる。

九代将軍徳川家重夫人の供養等(一番手前)下段

        京都市中京区・本能寺
夫人は伏見宮邦永親王の姫宮で17歳のとき、
江戸の徳川家重のもとに嫁した。江戸城の西の丸
に住んだので西の丸御簾中と呼ばれたが、わずか
2年後の享保18年(1733)10月3日早産のあと
急逝した。遺骸は寛永寺に葬られたが、姫宮が
平素から信仰されていた当寺に遺髪と爪が送られ
いまこの石塔下に納められている。

徳川家治
江戸幕府10代将軍。
家重の子。
田沼意次
天明の飢饉


徳川家斉
江戸幕府11代将軍。
一橋治済の子。
寛政改革


徳川家慶
江戸幕府12代将軍。
11代将軍家斉の子。
水野忠邦
天保の改革
ペルー来航


徳川家定

江戸幕府13代将軍。
2代将軍家慶の子。
病弱
阿部正弘


徳川家茂
江戸幕府14代将軍。
紀伊和歌山藩主徳川斉順の子。
1858年井伊直弼らの擁立で14代将軍となる。


徳川慶喜
江戸幕府15代将軍。
水戸徳川家斉昭の七男。
安政の大獄。
1867年大政奉還
       二条城、二の丸御殿

         京都市中京区

二条城、二の丸御殿大広間一の間は、
慶応3年(1867)10月、15代将軍・徳川慶喜が、
諸大名を集め、大政奉還を発表し、
徳川幕府の幕を閉じた歴史的な部屋である。

1868年鳥羽・伏見の戦い



今後、もっと整理していきますので、宜しくお願い致します。

でも、ひとつだけ。4代〜15代の間で直系で継がれているのは
最高3代までです。不思議ですが、4代はないのです。
名君であっても、子どもが病弱であったとか。
将軍であっても、父としての悩みはあったと思います。
皆さん、安心してください。


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