徳川義直

                 
名古屋城
           現名古屋城
                                 
 名古屋市中区二の丸


                      

                      名古屋城は、この地に家康の代9子の徳川直義を
                      尾張藩主とした際、その居城としてつくらせたもの
                      である。

                               

                              名古屋城
                      名古屋城は、関ヶ原の合戦後江戸幕府を開いた徳
                      川家康が、慶長14年(1609)江戸幕府の東海道の
                      要所として、また、大坂(現大阪)方への備えとして、
                      清須(現清州町)から名古屋へ遷府を決定し、加藤
                      清正・福島正則・前田利光等北国・西国の諸大名20
                      名に普請(土木工事)を命じ、天守閣や諸櫓の作事
                      (建築工事)は、慶長17年(1612)にほぼ完成した
                      代表的な平城です。その後、明治維新をむかえるま
                      で名古屋城は、徳川御三家の筆頭尾張家の居城と
                      して栄えました。
                                              (パンフより)

                      


                            藩訓秘伝の碑
                      

                      この碑文は、初代藩主・徳川義直の直撰「軍書合鑑」
                      の中にある一項の題目で、勤王の精神について述べ
                      ている。
                      歴代の藩主はこれを藩訓として相伝し、明治維新に
                      あっては、親藩であったが、勤王帰一を表明したと
                      いわれている。
                      この碑の位置は二之丸御殿跡である。


                          小牧御殿・小牧代官所跡
                      
                                  小牧市

                     小牧御殿・小牧代官所はこの地のすぐ西にありました
                     が、現在は民家や道路となって、その面影を偲ぶもの
                     は残っていません。
                     尾張藩の御殿は、江戸時代初期、佐屋・津島・熱田
                     など14ヶ所に設けられました。小牧御殿は、寛永2年
                     (1625)にこの地の西側にあった江崎善左衛門の蟹清水
                     屋敷に初代尾張藩徳川義直が鷹狩りの折に訪れ、
                     北西に小牧山を望む景観と蟹清水の庭園が気に入り、
                     御殿にしたといいます。以降、義直の別荘として、通行
                     や鷹狩りの際に宿泊や休憩所として使われ、普段は
                     江崎氏が御殿守として管理していました。
                     御殿の敷地は46間×51間(約2350坪)出10畳以上の
                     部屋が10もありました。
                     天明2年(1782)小牧御殿の一角に小牧代官所(陣屋)
                     が設けられました。これは、尾張藩の財政窮迫に伴う
                     改革策として、農政に力を入れるため、地方に12ヶ所
                     の代官所を設けたうちの一つです。代官所は藩の御触
                     れの伝達や各村の庄屋・組頭などの監督、年貢や賦役
                     の徴収を行うほか、治安・警察の仕事や様々な訴訟を
                     扱ったり、その職務は多岐に渡っていました。小牧代官
                     所は尾張国丹羽郡127村、尾張国春日井郡125村、
                     美濃国可児郡5村という広範囲を管轄していました。
                     代官所には、代官の下に手代、並手代、足軽(同心)、
                     小使など、その年によって違いますが、14名ほどの者
                     が配置されていました。
                     右側の福禄寿の石像は、義直が製作させ、小牧御殿
                     に設置してあったと伝えられる石像で、江戸時代前半
                     のものと見られます。建物前面に架かる鈴には、葵の
                     紋が彫られています。石像を安置する祠は、小牧代官所
                     (御殿)の建物の一部を転用したものと伝承されています。

                         小牧御殿龍神祠之碑
                      

                      
                                    小牧市

                                   建中寺
                      

                      
                               名古屋市東区筒井

                      慶安4年(1651)尾張二代藩主光友が、父義直の
                      菩提のために創建し、以後、尾張徳川家の菩提寺
                      となった浄土宗の寺。


                              お亀の方

                                 相応寺
                      
                                名古屋市千種区城山

                                  相応寺
                      宝亀山と号し、浄土宗鎮西派。
                      寛永20年(1643)尾張藩主祖徳川義直が、母相応院
                      おかめの方の菩提のために建立した。慶安3年(1650)
                      義直の遺体を当寺に安置して供養し、のち定光寺に
                      葬った。山門額と本堂の額か義直の直筆で、本堂は
                      寛永20年創建当時のものである。この寺はもと東区
                      山口町にあったが、昭和の初めにこの地に移された。


                      

                      

                               「貞松院」下屋敷跡
                      
                                 名古屋市西区

                              初代尾張藩主の側室
                      貞松院(1608〜84)は朝廷の東福門院(後水尾天皇
                      の中宮で、将軍秀忠の娘)に仕え、天下一の美貌の
                      女官で「おさ の方」と言われました。初代藩主義直と
                      正室「春姫」に子がなかったため、幕命で寛永元年
                      (1624)に17歳で京都より二の丸に入輿、側室となって
                      寛永3年に鶴姫を産みました。江戸時代初期の「万治
                      年間之名古屋図」(1658〜60)に四間道と円頓寺通り
                      と御本坊筋に囲ました旧沢井町北部に「貞松院様御
                      屋敷」、名古屋城の二の丸東にも「貞松院様」と記さ
                      れています。寛永14年(1637)に江戸で「春姫」が
                      逝去後、寛永16年に江戸へ移住し「奥様」と呼ばれ、
                      慶安3年(1650)義直の逝去まで江戸で暮らしました。
                      その後貞松院と称し、名古屋に戻って名古屋城二の
                      丸に住み、鶴姫が広幡大納言忠幸卿と結婚後、三の
                      丸北東隅の屋敷に移りました。逝去後ほどなく下屋敷
                      跡近くに「雲門寺」が建てられました。御廟所は中区
                      の政秀寺です。

                      

                                   円頓寺
                      
                                 名古屋市西区

                                   円道寺
                      本堂脇の堂には、子どもの守護神にと藩祖義直公
                      の側室より寄進された鬼子母神像を安置している。
                      名古屋城天守閣棟木余材で刻まれたこの像は、
                      毎月18日公開される。

                      

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