徳川家康本陣跡



新城市竹広字宮川



天正3年(1575)5月、武田軍に包囲された長篠城を
救援するため家康は、織田信長とともに設楽原に陣
した。家康は、この弾正山に本陣をおき、これより
東約300m(東郷中学校の向こう側)を南北に流れる
連吾川をはさんで武田軍を迎え撃った。この地はまさ
に最前線である。ここに家康が本陣を構え、多大な
犠牲を払って戦ったねは、信長に援軍を頼んだいき
さつがあったからだと思われる。この東北約400mの
地点に「家康物見塚」と呼ばれる所がある。
そこは、家康が陣頭指揮をしたところである。

家康物見塚




日は悲し一五七五(いちごない)ぞと武田七九(なく)
天正3年(1575)5月21日は、設楽原決戦の日
であるが、これは陰暦による日付であって、
現代風に換算すると7月9日に相当する。

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