千種氏



三重郡菰野町千草

千種城
この山城は西側に本丸、東側に出丸の二つはの郭
に分かれ、その間に空堀が切られている。周囲は
土塁跡が見られ、中世の典型的な山城の形状を
よく残している。なお南の向城、東の金ケ原城は、
この城の支城といわれている。城主は、後醍醐天皇
に仕えた千種忠顕の子顕経が、はじめ禅林寺城に
拠り、のち要害の地であるこの地へ移り城を築いた
と伝えられている。城の下は伊勢から近江へ峠越え
の千草街道が通じこの城は軍事、経済上の要衝で
あった。戦国期は北勢地方の豪士の頭領として
三重郡二十四郷を領して大いに勢威があった。
信長そして秀吉の郡勢に攻められ、最後の城主
千種顕理が大阪夏の陣で戦死して廃城となった。








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