田尻城



愛西市

田尻村は、寛永元年(1624)に立田輪中が一円輪中
になったときに開発された村とされていますが、それ
以前から独立した小さな村として人々が住んでいん
でいました。この村は、石田村や高田村など立田輪
中の一つの区切りとしての位置にあり、望楼を兼ねた
砦の性格を持つような建造物が必要であったと思わ
れます。嘉永3年(1850)に庄屋の弥左衛門が家数
17軒の小さな村として尾張藩に報告した文書の末尾
に「当村城跡丸の内と申す場所も御座候」とあり、
城があったことが分かります。また詳しい由緒書など
もありましたが、以前に尾張藩からお尋ねがあった
時に差し出し、現在は残されていないとも報告して
います。今では城主の氏名など詳しいことは分か
っていません。後世、これを田尻城と呼ぶようにな
りました。ここから南西へ10mほどに大きな池が
ありました。馬洗い石は、その池の端にあり、
馬を乗せて背中を洗ったと言い伝えられていま
す。いまでは池も石も埋まってしまいました。





近くには、

小家渡船の跡


佐屋から立田を経て三重県への交通は、陸路をたどれば
6kmほど川下の尾張大橋によらなければなりませんで
した。対岸の福原から中学校に通う子供たちのために、
昭和32年に機帆船を始めました。翌年2月県営無料
小家渡船として愛知県に移管されました。昭和59年、
近くに立田大橋が開通する同時に廃止になりました。




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