垂井宿


旅籠 亀丸屋

垂井町

亀丸屋西村家は垂井宿の旅籠屋として、二百年
ほど続き、今なお、当時の姿を残して営業している
貴重な旅館である。安永6年(1777)に建てられた
間口5間、奥行6.5間の母屋と離れた上段の間を含
む8畳間が3つあり、浪花講、文明講の指定旅館
であった。当時は南側に入口があり、二階には
鉄砲窓が残る珍しい造りである。


中山道垂井宿本陣跡


本陣は、宿場ごとに置かれた大名や公家など重要な
人物の休泊施設です。ここは中山道垂井宿の本陣が
あったところで、寛政12年(1800)の記録によると、
建物の坪数は178坪で、玄関や門、上段の間を備える
広大なものでした。垂井宿の本陣職をつとめた栗田家は、
酒造業も営んでいました。本陣の建物は、安永9年(1780)
に焼失しましたが後に再建され、明治時代には学習義校
(現在の垂井小学校)の校舎に利用されました。


垂井宿の問屋


間口5.5間、奥行7.5間の金岩家は、代々彌一右衛門
といい垂井宿の問屋、庄屋などの要職を勤めていた。
問屋には年寄、帳付、馬指、人足指などがいて、荷物
の運送を取りしきり、相川の人足渡の手配もしていた。
当時の荷物は、必ず問屋場で卸し、常備の25人25疋
の人馬で送っていた。大通行が幕末になると荷物が
多くなり、助郷の人馬を借りて運送した。






南宮大社大鳥居



垂井の商家


この商家は、文化(1817年頃)建てられた間口5.5間、
奥行6間の油屋卯吉(宇吉)の家で、当時は多くの人
を雇い、油商売を営んでいた。明治以後、小林家が
部屋を改造し亀屋と稱して旅人宿を営んだ。土蔵造り
に格子をいれ、軒下にはぬれ蓆をかける釘をつり、
宿場時代の代表的商家の面影を残す貴重な建物である。

脇本陣門と時雨庵 高札場跡


一、脇本陣門、文化13年(1816)頃より西町に
あった建坪135坪の金岩脇本陣門及び
玄関を明治初期移築した。
一、時雨庵、獅子門の化月坊が芭蕉ゆかりの
この寺に安政2年(1855)時雨庵を建立する。
一、高札場跡、山門左前に高さ約4m、横幅約5m、
奥行1m余の高札場を建て、人馬賃、キリシタン
禁止等の6枚の告知板をかけた。



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