滝川一益


滝川一益

近江国甲賀出身。始め六角定頼に仕えて
いたという。その後、織田信長の家臣となる。

滝川一益陣地跡

滋賀県東浅井郡虎姫町

伊勢大河内攻めに貢献し、蟹江城主。

浜田城

四日市市浜田町字堀ノ内

浜田城は、室町時代の文明2年(1470)に田原孫太郎景信
の三男田原美作守忠秀が築いたものである。その後藤綱、
元綱らがこの地を領したが、安土桃山時代の天正3年(1575)
に織田信長の家臣滝川一益に攻められ落城したという。

蟹江城址


愛知県海部郡蟹江町蟹江本町

伊勢長島一向一揆を鎮圧すると、
信長から長島城を与えられる。

長島城跡

三重県桑名郡長島町西外面(長島中部小学校)

大松

長島中部小学校
この大松は江戸時代に長島城が、
このあたりにあった頃、本丸の南西隅に
あったもので樹齢三百数十年と推定される。


長篠の戦いでは先陣として活躍。甲斐平定後、
信長より上野と信濃の一部を与えられる。 
本能寺の変後、北条家との神流川の合戦で惨敗。
このため清洲会議にも出席できなかった。
賎ヶ岳の戦いでは、柴田勝家と結び秀吉と争う。
勝家の自害により、降伏し、秀吉に属する。
小牧・長久手の合戦では、いったん攻略した
蟹江城を家康・信雄連合軍に攻められ降伏する。
戦後、領土没収され、出家し、越前大野に隠棲した。

池田恒興の父・恒利が滝川貞勝の次男であるということ
は、滝川一益と池田恒興は従兄弟同士ということか。


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