竹中半兵衛

                           竹中半兵衛重治
                  
                        岐阜県不破郡垂井町岩手

                  重治公はこの地の菩提山城を本拠とし、智謀神の
                  如しといわれた名軍師で、木下藤吉郎に三顧の礼を
                  もって迎えられた。信長に仕え、秀吉の懐刀となり、
                  形影相伴って各地を転戦し、知恵袋として活躍した
                  無欲の武将であった。
                  播州三木城攻略中惜しくも36才の若さで陣没した。
                  墓はここより北500mの禅幢寺にある。

                              菩提山城
                  

                          菩提山城説明図
                  別名を岩手城ともいい、伊吹山を背にして標高402m、
                  西は明神山を経て伊吹山系に続き、山頂の自然を
                  巧みに利用し、七つの曲輪と十指に余る小削平地、
                  二つの大堀切、七条の堅濠および空濠からなる
                  大規模なものである。戦国乱世の頃、岩手氏(岩手
                  弾正左衛門頼重)は、この菩提山に本拠地をおき、
                  近江と美濃の間に勢力を張っていた。永禄元年
                  (1558)竹中遠江守重元は、現在の揖斐郡大野町
                  にいたが、岩手弾正を攻略し、翌2年(1559)ここに
                  城を築き、現在大垣市の福田、長松と岩手附近一帯
                  を領し、6千石の領主となった。戦国時代の軍師として
                  知られていた竹中半兵衛重治公は重元の子で、
                  この城に住んでいたが、永禄7年(1565)には岐阜城
                  を攻略し。さらには天正7年(1579)播州三木(現在
                  兵庫県三木市)の陣中で病死し、この世を去った。

                  

                          竹中半兵衛閉居地
                  

                  

                  
                         岐阜県不破郡垂井町栗原

                  岐阜県指定天然記念物である「栗原連木のサカキ」がある。

                           竹中半兵衛の歌碑
                   竹中半兵衛の歌碑

                            長濱の地名起源
                   君が代もわが代も共に長濱の
                            真砂のか須のつき屋らぬまで
                                           竹中半兵衛
                   豊臣秀吉公は、1573年浅井氏を滅ぼして、小谷城主
                   となったが、山の雪と寒気に悩まされ、翌春より今浜
                   城の建築に着手。
                   地名を長浜に改め、小谷城下や近郷から寺院や商家
                   を移し、楽市楽座の制度と300石の地租免除の恩典を
                   与え、商工業の発展に力を尽くした。

                   昭和48年、開町400年祭を挙行するにあたり、豊太閣
                   に遺徳を讃え竹中半兵衛の子重門の著する豊鑑より
                   自筆の歌を刻む。

           

                                妙照寺
                   

                   
                             岐阜市梶川町

                   岐阜城主だった織田信長の孫・秀信は、金華山のふ
                   もとにあった豊臣秀吉の家臣・竹中半兵衛の屋敷跡
                   を妙照寺に寄進した。


                            禅幢寺
                   
                         岐阜県不破郡垂井町岩手

                              禅幢寺
                          竹中半兵衛重治公菩提寺
                   この寺は、明応3年(1494)薩摩国(鹿児島)金鐘寺
                   盛庵正碩和尚が開創。宗旨は曹洞宗。
                   開基は、竹中半兵衛重治公。
                   豊臣秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛重治公は、
                   天正7年(1579)播州三木の陣で病没したが、当寺の
                   墓は、その後、天正15年父の菩提を弔うため長男重
                   門公により三木から移葬したものです。
                   現在の本堂は、半兵衛公の孫、重常公が寛文3年
                   (1663)に建立しました。
                   又、当寺には(町指定絵画)竹中半兵衛重治像があ
                   る。

                         竹中半兵衛重治の墓
                   



                   竹中半兵衛の子重門は、関ヶ原の戦いの時東軍に
                   属する。


                     黒田長政・竹中重門陣跡
                   黒田長政・竹中重門陣跡
                             
岐阜県不破郡関ヶ原町

                   関ヶ原の戦いの時、この山頂には長政と重門が陣を
                   敷く。
                   霧も晴れ上がった午前8時頃、ここから狼煙が上げら
                   れ、東軍諸隊に攻撃の合図が出される。
                   同時に、西軍が陣取る笹尾山、北天満山にも狼煙が
                   立ち昇り、東西両軍はいっせいに、正面の敵との戦闘
                   を開始した。



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