高山城



土岐市土岐津町高山

立地 高山城は、土岐川の氾濫原を見下ろす
標高183mの細長い丘陵に立地しています。
麓からの比高差はおよそ57mで、通称サバと
いわれる砂岩層の断崖上に築かれています。

高山城跡からの眺め


構造 現在は水道貯水池が築かれており、
当時の構造は知ることは出来ませんが、三つ
の曲輪によって構成されていたといわれ、北
端や南端に曲輪の名残りを留めています。



歴史 高山城の築城については、諸説あり、判然
としませんが、高山伊賀守光俊、平井宮内少輔
光行らが城主であったと伝えられています。天正2年
(1574)光行の子平井頼母光村が城主の時、甲斐の
武田勝頼の東濃攻めによって攻略され、その後、
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの際、東軍妻木勢
によって攻められ落城したといわれています。



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