高野長英


小澤長次郎旧居跡
高野長英先生寓宿の地


一宮市北方町

江戸時代後期の医者・蘭学者。
異国船打払令を批判し開国を説くが、
弾圧を受け、それを見ること亡くなる。



小澤長次郎旧居跡
高野長英先生寓宿の地

小澤長次郎は錦水と号し、始め農夫であったが、
40歳を過ぎて江戸へ遊学し蘭学を修めた。
医業の傍ら黄金水や白玉泉などの薬酒も販売
した。また、漢詩・和歌・茶道・書をよくし、高野長英・
頼支峰・藤本鉄石・尾張藩明倫堂督学細野要斎・
北方川並奉行所調役丹羽玄塘・北方牛刀館教室
角田錦江・南画家山田訥斎など、勤王の志士や
文化人などと交流を深め、多くの人達が北方を訪
れた。慶応元年(1865)70歳で没し、高徳寺に墓碑
がある。高野長英は、ここを3度訪れたと伝えられ、
屋敷内に長英が植えたとされるバクチの木がそび
えていた。寓宿の碑は、昭和46年堤防の改修で
一時北方中学校へ移転されていたものである。






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