大樹物語


大楠

名古屋市熱田区神宮1 熱田神宮

この楠は信長をどのように見ていたのだろうか。



境内には楠の木が多く特に大きな楠七本を七本楠
と呼び古くから有名である。この楠は弘法大師お手
植えとも言われ樹齢は千年以上と伝えられている。


榧の木

名古屋市中区二の丸

榧の木(天然記念物)
高さ16m、幹回り8mで、築城以前から自生し、樹齢
600年以上といわれている。名古屋市内唯一の国
指定の「天然記念物」である。
空襲によって被災したが、幸いにして樹勢を取り戻
した。初代藩主徳川義直が大阪へ出陣のとき、この
実を膳に盛り、のち正月の祝膳にも盛ったといわれる。

樹齢600年以上と伝えられる。



ムクノキ

名古屋市中区



ムクノキ・横井也有宅跡
この左手奥にあるムクノキは、推定樹齢約
400年、名古屋城築城前からのもので幹回り
5mを越える見事な巨木であり、枝張り南北
14m、東西18m、樹高20m余に達する。


くすのきさん

名古屋市中区松原1

松原緑地
この場所は古くから人々に「くすのきさん」と呼ばれ
敬い親しまれてきました。太平洋戦争の戦災により、
幹の部分が焼けて枯れてしまいましたが、樹木の生
命力の強さにより、根元からひこばえ(根元から出て
きた芽のこと)が生長してみどり豊かな景観が再現
されました。このような貴重なみどりを残そうという
地域住民の方々をはじめとする多くの方々の熱意
により、保存することになりました。

参考
 「(松原)1丁目の西脇公園のすぐ西の小さな丘の上に、
 大きなクスノキがある。これは、弘法大師が植えた木と
いわれる。戦国時代に、織田信長が出陣のとき、
戦勝を祈ったという大クスノキである。
           名古屋市発行「なごやの町名」から




村上社のクスノキ

名古屋市南区

クスノキはクスノキ科の常緑高木で関東以南から
台湾、中国、東南アジアまで広く分布している。
この樹は、根回り約13.2m、地上1.5mの幹回り
約10.8m、樹高約20m、枝張り東西約22m、南北約
20m、樹齢約千年といわれ、樹勢なお旺盛である。
名古屋市内では、その巨大さと根張りに
おいては屈指のものであり、昭和62年
名古屋市天然記念物に指定された。


名古屋市南区

櫻田勝景


桜田勝景跡
この辺りは、「万葉集」に
「桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟
  潮干にけらし 鶴鳴き渡る」
の歌に見える勝景地と推定される。
「桜田」は桜の田の意で後の桜村
一帯の水田を意味する。
「年魚市潟」はかって南区の低地部
から熱田まで入海であった。
鶴が、餌を求めて鳴きながら桜田の遠方に
ある潮の引いた年魚市潟へ向かっていく
光景を見て歌ったものであろう。




名古屋市南区


大いちょう

津島市
愛知県の天然記念物。樹齢およそ600年。

御神木

津島市
御旅行跡。高さ30m、根まわり10m。
樹齢およそ500年。


津島市

堀田家住宅

津島市


堀田家住宅にて

アカマツで樹齢200年は珍しいとのこと。

薬師寺の大楠

愛知県海部郡弥富町大字鯏浦



鯏浦城は、このあたりに勢力のあった服部党・一向
門徒勢を攻めるため永禄8年(1565年)に織田信長
が築いた砦で城守は織田彦七郎信興(信長の弟)
であった。信興は、元亀元年(1570年)小木江城
(立田村)で服部党ら門徒勢に攻められ戦死した。
これを機に、信長は服部党ら門徒勢を攻め、3度目
の天正2年(1574年)には大軍を送りこんで、ことご
とく焼き尽くした。鯏浦城跡には、信興が念持仏とし
ていた薬師如来像を納めるため御堂が建てられ、
これが明治時代の初めに薬師寺となった。
城跡の碑は、薬師寺境内の大楠のもとに昭和51年
に建てられた。大楠は樹齢600年以上ともいわれ、
現在目通り8.3mに及ぶ。里人はこの楠の葉を薬と
して用い病を治したと言われている。
また、この付近はかつての海岸線にあたり、信長の
服部党・一向門徒勢攻撃の祭、信長軍がこの楠に舟
を繋いだとも言い伝えられている。
この樹下には社(下の宮)が祀られ参拝者が後を絶た
なかったというが明治時代に弥富神社に合祀された。

おみよし松

弥富市平島町

おみよし松
この松は、天保3年(1646)の平島輪中開拓当時
の植松と伝えられ、およそ360年の樹齢である。
おみよし松の由来は、この川岸に津島神社の
天王祭りの御葭船(葭で編んだ小舟)が流れ
ついているのを見て天王結縁の土地を記念して
植樹し、この松を「御神葭松」と名づけたものと
推察される。何れにしても津島神社に因縁のある
古松である。筏川の川岸にあったおみよし松は
昭和32年の弥富中学校建設のとき埋め立てら
れて校庭内にとり入れられた。


白山神社の大くす



岡崎市・新田白山神社

白山神社の大くす
胸高囲7.7m、根囲9.4m、樹高12.5mのクスノキの古木。
老樹であるが、樹勢なお衰えず、枝張りは東西に22m、
南北に14.5mにおよぶ。白山神社は、永禄9年(1566)
に徳川家康が厄除け開運祈願のため、上野国新田から
勧請したとうたえ、岡崎城主に産土神とされていた。

本宗寺の大まつ

岡崎市美合町

法蔵寺のイヌマキ

岡崎市本宿町

山中八幡宮のクスノキ

岡崎市舞木町




豊橋公園のイスノキ


樹齢300年以上


豊橋市

瑞泉寺のクス





犬山市

樹齢推定300年

祐専寺イチョウ

稲沢市祖父江町山崎

稲沢市天然記念物。



樹齢約250年。高さ約20m。ギンナン生産で有名な
祖父江町山崎地区に広がるギンナンの親木とも。



蓮華寺の一向杉





樹齢およそ700年(推定)


自害峰の三本杉


自害峰
壬申の乱に敗れた弘文天皇は、大津の山前で自害
されました。
東軍の武将村国男依は、天皇の首をいただき不破
の野上に帰り、天武天皇の首実検のあと、この丘陵
に葬ったと伝えられています。

自害峯の三本杉
壬申の乱(672)は天智天皇の子・大友皇子と同天
皇の実子大海人皇子との間で起きた皇位継承争い
でした。その戦はこの辺りから始まり、その後近江
の瀬田で、大海人軍は大友軍を破ったのです。
ここは自害された大友皇子の頭が葬られていると
伝えられ、弘文天皇御陵候補地です。
三本杉がそのしるしとなっています。

御葉附銀杏




周囲約2.5m、高さ12m、樹齢約150年、雌株。
毎年8月から11月上旬ごろの間、数多くの
銀杏を実らせますが、その一部は葉面上に
付いています。銀杏の発育が不完全なものが
多く、小さくて、長楕円や、細長く普通の銀杏
と著しく形が異なっています。葉面上に生じる
銀杏の数は、多いもので5〜8個ですが、おお
むね1〜2個で、葉脈が次第に太くなり、先端の
所が主に形作られていきます。化石から出土さ
れた「いちょう」に良く似ていて、銀杏が表面上
に生じるのは、花が枝や葉の一部だという学説
を裏付けるものです。「いちょう」は中国及び
日本の特産で我が国においては神社仏閣の
境内に数多く植えられていますが、この「おは
つきいちょう」のような葉面上に銀杏を生じる
ものは少なく、貴重なものとされています。
昭和4年12月17日、国の天然記念物として指定


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