鯛の天ぷら


田中城

藤枝市田中

元和2年(1616)、鷹狩りに出かけた徳家康は田中城で
食した鯛の天ぷらに当たったのが原因で死亡したとか。



田中城は、今から500年ほど前、この地の豪族・一色
氏が今川氏の命を受けて、その屋敷を拡大して城と
したのがその始まりだといわれている。その後、武田
氏の手に落ち、さらに江戸時代になってから四ノ堀が
増設されて、直径およそ600mの全国的にも珍しい
同心円形をした城ができあがる。現在、市立西益津
小学校が建っている場所がかっての本丸で、江戸
時代には4万石程度の譜代大名が城主となって、志太
平野の村々を治めていた。しかし、明治維新によって、
田中城は廃城となり、城跡も民家に払い下げられた。
田中城の南東隅にあたるこの下屋敷は、一色氏やその
後裔の古沢氏の屋敷跡だとも伝えられる。しかし、江戸
時代後期には城主の下屋敷(別荘)が置かれ、築山・
泉水、茶屋等を設けて四季の景色を楽しんだとも。







田中城下屋敷


家康公お手植えの蜜柑


徳川家康が将軍職を退いて、駿府城に隠居された
折、紀州家より献上された鉢植え蜜柑を本丸「紅葉
山庭園」に家康公自ら移植したものと伝えられる。


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