太閤山



羽島市福寿町間島2

間島太閤山史跡
天正12年(1584)5月、秀吉は一夜城を築かせ、竹鼻
城を水攻めにした。小牧・長久手に続く戦いである。
この時この地に取り手を築いて見張場とした。見張場
は22〜23間(約40m)四方、高さ2丈(約6m)もあった
という太閤山と呼ばれたこの小丘には、昔より清水の
出る井戸があり、日照りにも旱魃せず、水の増減もな
いといわれていた。今、畑地の西隅に立つ数本の
マキの大木は、かって小丘のすそ部にあたるという。





史跡の由来
古来、この神社の南に「太閤山」と呼ばれ、土地の
人々に親しまれてきた小丘がありました。この地は、
天正12年(1584)5月7日豊臣秀吉が竹鼻城水攻め
にあたって本陣を置いた跡で40m四方、高さ6m程
ありました。また、この碑と共に安置されている五輪
石は、山の削除土の際、出土したもので、水攻めの
戦没者を葬ったものと思われます。今、この地に碑
を建て「豊太閤の夢の跡」に思いを馳せ、先人の
偉大な徳を偲ぶ縁とします。    (裏面案内より)








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