聖徳太子






このお山は、み佛、毘沙門さまが、日本で一番最初
に尊いお姿を現されたお山で信貴山と申します。
今から1300年もの昔、聖徳太子さまが、このお山に
お登りになり悪徒平定をお祈りになりますと、
毘沙門さまが不思議な霊力をもった弓と箭を
お授けになりました。太子さまは、夫れをもって
悪徒を征定されました。そこでこのお山は「誠に
信ずべき貴いお山だ」と仰言られてから、
今日まで「信貴山」と申し伝えています。

朝護孫子寺

平群町信貴山

神木榧の木 樹齢1500年


今を去る1500年(西暦480)の昔、
日本の国は氏族制度で、蘇我一族と物部一族が
政治の実験を握るため争っていた時代がある。
時にこの地に一粒の榧の実から若芽が誕生
したのである。それはこの榧の木であった。
それから百年後、蘇我馬子は仏教の普及に
努力せんとしたが、物部守屋はこれに反対し
双方の対立抗争はついに長く苦しい激戦と
なった。この時、聖徳太子は守屋討伐のため
自ら陣頭に立ってこの地に進み、毘沙門天王を
感得され、その御加護で物部軍を降伏させ、
日本の仏教の栄える礎を築かれたのである。
依頼、樹齢1500年の神木榧の木は世の有為転変
を語らんとするや、ひたすら黙して語らず。



飛鳥寺

奈良県高市郡明日香村

飛鳥寺
飛鳥寺は第32代崇峻天皇元年(588)蘇我馬子
が発願し、第33代推古天皇4年(596)に創建
された日本最初の寺である。



本尊飛鳥大仏


推古天皇13年(605)、天皇が聖徳太子や蘇我馬子
及び各皇子と誓いを立てて発願し、同17年(609)
鞍作鳥によって造られた日本最古の仏像である。

聖徳太子孝養像

飛鳥寺

聖徳太子孝養像
太子十六才のとき、父用明天皇の
ご病気回復を祈願されている姿である。

橘寺

奈良県高市郡明日香村

橘寺
当寺は、聖徳太子様のお生まれになった所で、
当時ここには、橘の宮という欽明天皇の別宮
があった。太子は、その第四皇子の橘豊日命(
後の31代用明天皇)と穴穂部間人皇女を
父母とされて、西暦752年この地にお生れになり、
幼名を厩戸皇子、豊聡耳皇子などと申し上げた。

橘寺




中門と五重塔

奈良県生駒郡斑鳩町・法隆寺

法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の
木造建築として広く知られています。その創建の由来
は「金堂」の東の間に安置されている「薬師如来像」
の光背銘や「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(747)
の縁起文によって知ることができます。それによりま
すと、用明天皇が自らのご病気の平癒を祈って寺
と仏像造ることを誓願されましたが、その実現を
みないままに崩御されたといいます。そこで推古天皇
と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古
15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造ら
れたのがこの法隆寺であると伝えています。


五重塔


金堂


夢殿


夢殿(奈良時代)
西暦601年に造営された斑鳩宮跡に、行信僧都という
高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)
に建てた伽藍を上宮王院といいます。その中心となる
建物がこの夢殿です。その中心となる建物がこの
夢殿です。八角円堂の中央の厨子には、聖徳太子
等身の秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置しています。





百済寺

滋賀県東近江市百済町

百済寺
聖徳太子の御願によって創建されたと伝えられる。
白鳳期と推定される布目の瓦の破片が出土している
ことからすでにこの時代に瓦を用いた寺院が建築
されていたことが推定され、愛知郡誌によると近江国
最古の寺院である。東寺観智院年代記に天養元年
(1144)百済寺天台別院と号すと書かれており、
源平盛衰記に寿永2年(1183)木曽義仲に百済寺
より500石の兵米を送ると記されている。室町時代
明応7年に自火によって本堂付近を焼失し古記録など
の焼失によって寺歴を物語るものがなくなっている。
その後文亀3年の兵火、天正元年信長の焼討に
より更に衰微し現本堂は慶安3年の建立である。



最後の「山城!!」の偉容
前方の石垣遺構は城砦化された「百済寺城」の一部
です。小石を積み上げた石垣であったため、信長も
安土への「石曳く」をせず破壊されずに残りました。





天下遠望の名園(喜見望郷庭)
釈迦山百済寺(ひゃくさいじ)は近江最古のお寺です。
およそ1400年昔の推古14年(606)に、百済博士
恵慈(高麗僧)の案内でこの地を訪れられた聖徳太子
さまは、「近江の地理的重要性」を逸速く見抜かれる
とともに既に先進技術と文化で湖東平野を開拓
しつつあった渡来人のために百済(くたらじ)を
創建されたと伝えられております。湖東平野と琵琶湖
をかすめて真西の遠方50km先に富士山のように
聳えるお山が比叡山です。春秋のお彼岸には真っ赤
な夕陽が真西の比叡山頂に沈んで行きます。さらに
その延長線上800km先には、渡来系の人々が望郷
の念を抱いていた母国の百済がありました。
その雄大さから喜見院の庭園が別名「天下遠望の
名園」と称される所以です。一方。現在の湖東平野には、
東海道新幹線・JR東海道線・名神高速道路・国道8号線
(旧中山道)などに加えて幹線通信網が整備された
日本列島の幹線動脈地帯なのです。この地を選ばれた
聖徳太子さまと恵慈博士の先見性にはただ驚くばかりです。







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