角倉了以



京都市

角倉了以
安土桃山時代から江戸時代にかけての京都の
豪商。1592年豊臣秀吉から朱印状を得て、
安南(ベトナム)と貿易を行ったという。
大堰川、高瀬川を開削し、富士川、天竜川
の治水等国内の土木開発事業にも貢献。

高瀬川






高瀬川一之船入

京都市



吉田城

滋賀県上郡豊郷町吉田

縁起
佐々木源氏の一流、佐々木秀義の六男巖秀(いわ
ひで)がこの地に封邑を得て吉田氏を称した。兄、
四郎高綱は、寿永3年(1184)かの宇治川の合戦で
名馬「生  」(いけづき)を駆って先陣を争った武将で
ある。吉田城は、岩倉川と子増川を自然の外濠とし
て、その水を引いた内濠をめぐらして築城されたよう
である。城は元亀2年(1571)の宇曽川の戦いで
織田信長軍の馬蹄に踏みにじられ焼き討ちにあって
あとかたもなく焼き付くされてしまったうえ、現在は
その内濠の大半が埋められて僅かしか残されてい
ない。築城時の史記はおろか、落城の伝承は何一
つ残されていない。吉田氏は、子々孫々この地に
地頭として生きのびたが、巖秀の九世孫の徳春の
代に京都嵯峨へ退隠して角倉の家祖となる。
江戸時代の豪商角倉了以はその子孫である。



戻る