総見院








織田信長墓碑

愛知県清須市清洲町一場

右織田信長公墓
左徳川義直公墓

総見院は、信長、信雄、義直の位牌や信長、
義直の墓碑を祭る。本能寺の変直後に、信雄が探
し当てたという信長着用焼兜が保存されている。 


信長着用焼兜


信雄公が本能寺の変の直後、本能寺焼跡を捜索さ
せて探し当てた兜で、飾り物はすべて焼け落ち鉢
だけになった焼錆の兜である。信雄公はこれを信長
公着用の兜として確証を得たのであろう。信長公
遺品として手許に留めた。信雄公は変後清洲城主
であったが、慶長19年秀吉公の命により清洲城を
追われ下野国(栃木県)那須に追放された。清洲を
去るに当たって、信雄公はこの兜を、来歴を記し
信長公後継者の岐阜城主信秀に贈った。その信秀
もまた岐阜城を退去することになるが、この時兜は
信長公・遺臣近江国加山城主系の小林氏に信秀
から贈ったという。天明5年(1785)丹波国柏原城主
織田家の家老生駒・津田両名の署名花押のある由
緒書を容箱に上記経過を裏書きして「信長公御召御
甲」として由緒の寺総見院に贈った。 (パンフより)




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