新城城



新城市字西入船

新城城は、長篠の戦いで戦功のあった奥平信昌に
よって天正4年(1576)に建てられました。この城は、
「しんしろ」という市名の由来になったとされる城跡
です。ここが「新城城(しんしろじょう)」と名付けられ
たのは、長篠城に対しての新城(しんじょう)であった
が、すでに天文元年(1532)に菅沼定継という殿様
が石田の崖上(幽玄川河口)に築いた城が「新城
(しんじょう)」と呼ばれており、それと区別するため
に「新城城」となったとも言われています。この城の
中心地(本丸)は、堀と土塁(土を盛って造られた
防御のための施設)で囲まれていた部分、現在の
新城小学校の運動場の一帯があたります。現在、
その堀と土塁の一部が残っています。初代城主で
あった奥平信昌は、天正18年(1590)に徳川家康
が関東に移り住むようになると、あわせ上野国宮崎
(現群馬県富岡市)に移住しました。その後、何人
かの城主の交代を経て、天保2年(1645)に新城
城は廃城となりました。しかし、慶安元年(1648)
に旗本の菅沼定実(野田城主の菅沼定盈が祖父
にあたり、桜渕公園に桜の木を植え始めた人物)
が陣屋をこの地に構えて以来、明治2年(1869)
の廃藩置県までこの地を生活の場としていました。





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