椎の木屋敷跡 刈谷市銀座六丁目 徳川家康の生母である於大が、岡崎の松平広忠に 離縁されて刈谷に戻された際、一時住んだといわれ ます。江戸時代ではいっぱいには出入りが禁止され ており、人夫がときどき清掃を行い、出入り口は鍵 がかかっていました。中央は窪地で、まわりが高く、 椎の木が多く茂っていて、五輪の塔が数基あり。 傍らに地蔵尊が立っていたといわれています。 戻る