信貴山城



奈良県

信貴山城
標高433mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、
東西550m、南北700mに渡って120以上の郭を
配し、奈良県下最大規模を有する中世城郭。
空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が
良く残り、特に高櫓跡は著名で、中世末の
織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて
良好な例で貴重な遺跡。信貴山は古代より
河内と大和を結ぶ要衝地として幾たびか築城
が繰り返された地である。古くは天智朝における
高安城中心城域となり、中世には護良親王が
鎌倉幕府への対抗拠点とするなど、戦略的に
重要な位置にあった。その後、戦国時代に
木沢長政、松永久秀が築城入城し、大和を
抑える本格的な山城として整備される。
天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に
背き、大軍の総攻撃を受け、50日間籠城。
10月10日に落城。その後、廃城となる。



朝護孫子寺

平群町信貴山

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