瀬田の唐橋



大津市瀬田

天正10年、本能寺の変後、安土城に向かう明智
光秀の進路を阻むため、山岡景隆が橋を焼き落とした。
この橋が、焼き落とされなく安土城にすぐ行けた
ならば、歴史はどのようになっていたのだろうか。


日本三大名橋の一つ。



瀬田城

大津市瀬田二丁目

瀬田城
壬申の乱以来、源平の戦いなどで重要な拠点として
瀬田川畔に戦国時代に瀬田城を築いたのは甲賀
武士の流れをくむ佐々木氏家臣の山岡景房である。
織田信長の命によって、瀬田橋をかけた当時の城主
山岡美作守景隆は、本能寺せ信長を討ち安土城に
向かう明智光秀と瀬田川で対戦したが力つき自ら城
に火を放って甲賀へ引きあげ、それ以来廃城となり、
今はわずかな石垣を残すばかりである。その後膳所藩の
別邸となり、禅僧天寧が庵をたて「臨江庵」と名づけた。







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