千利休


千利休屋敷跡

堺市堺区宿院町西1-17-1

千利休屋敷跡
堺の豪商魚屋の長男として生まれた与四郎は、初め
北向道陳に茶湯を学んだが、更に道陳の師武野紹鴎
に師事し、遂に「わび茶」を大成させた。千与四郎は、
茶名千宗易といい、織田信長、豊臣秀吉に茶頭とし
て仕え、正親町天皇より利休居士号を賜った。

千利休一門供養塔

堺市堺区南旅篭町東3-1-2・南宗寺

金毛閣

京都市北区紫野大徳寺町

織田信長が堺を直轄地としたときに茶頭として
雇われ、のち豊臣秀吉に仕える。

天正17年(1589)に千利休の寄進によって現在のよう
な山門になったそうだ。楼上に利休の木像がおかれた
ので、門の下を通る豊臣秀吉の怒りにふれ、これが
天正19年の利休への切腹命令の理由だとされている。

侘助椿

京都市北区紫野大徳寺町・総見院

総見院は、天正11年(1583)に豊臣秀吉が織田信長の
菩提を弔うために建立した寺である。総見院のワビス
ケは、秀吉が千利休から譲り受け植えたものが大き
くなったと伝えられている。ワビスケは、花が小さく
早春から咲き、茶花としてもよく用いられるツバキの
園芸品種であるが、この木はこの品種の現存する
最も古い個体であり、貴重である。昭和58年6月1日
京都市指定天然記念物に指定された。



千利休居士聚楽屋敷趾

京都府京都市上京区掘川通一条上ル晴明町

晴明神社の地は千利休宗易居士が聚楽
屋敷を構え茶事を催し茶湯に用いたと
される井戸が現存する旧跡である。

晴明井


御祭神晴明公邸の古より湧き出ていた洛中名水の
一で諸病平癒の信仰が篤い、流水口が本年の恵方
を向いており吉祥水が得られる。なお、此処は茶道
三千家の祖千利休終焉の地で太閤秀吉に振舞ったり、
最期に自服した茶もこの聖水で点てたものであろう。

竹茶杓 銘 泪 千利休作
この茶杓は、豊臣秀吉に切腹を命じらた利休が
自ら削り最後の茶会に用い古田織部に与えた
ものである。その後、織部はこの茶杓用に長方形
の窓をあけた筒をつくり、その窓を通してこの
茶杓を位牌代わりに拝んだとと伝えられる。

この茶杓は、毎年2月28日(利休忌)近くに、
徳川美術館で約10日間公開されている。

徳川美術館

名古屋市東区徳川町

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