千賀重親



名古屋市中区栄1



廣井城
天文年中迄城主中村氏以後
社家が廣井城を支配

御船手役所跡


この地は、かって尾張藩の御船手役所が置かれたと
ころで尾張藩海軍の根拠地ともいうべき所であった。
弘化4年(1847)の記録によれば、奉行の配下に船軍者
1名、船軍改役3名、船大工3名、水主123名、合計153
名とある。代々千賀氏が船奉行として藩の艦船を掌握し、
尾張、三河、伊勢、志摩に至る海岸の防衛に当たった。







水主(かこ)とは水夫という意味。
かって一帯に千賀氏が率いる尾張水軍の
施設があったため水主と名付けられた。


1602年に千賀重親は幡豆崎城を取り壊しその材木で
屋敷(南知多町師崎字的場)を築いたといわれている。

羽豆崎城址

愛知県知多郡南知多町師崎

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