佐治一成



常滑市金山字桜谷

このあたりは鎌倉時代、三河から伊勢に抜ける
道筋の重要な中継点として栄えた町である。

四代 佐治与九郎一成   寛永11年(1634)没。
信長の姪、小督を妻としたが離婚。小督は、
後に徳川二代将軍秀忠の正室となる。与九郎
一成は、天正12年(1584)、大野城放棄後、伊勢
(三重県)に居り、後、京で病死した。

大野城


佐治神社




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