里村紹巴


玉林寺

小牧市

「尾陽雑記」の中に、小牧山城築城の折、信長
は京都の連歌師里村紹巴を呼び、祝儀の歌百韻
を催したとある。信長から発句の所望された紹巴
が、「あさ戸あけの麓は柳さくら哉」と詠むと、信長
はたちまち機嫌を悪くし、「この発句は下手だ。
新しい城の竣工に”あける”というのは不吉だ」
となじった。面目を失った紹巴は、夜にもかか
わらず、京都に逃げ帰ってしまったという。

居士紹巴之塔





本能寺の変の直前、明智光秀の愛宕百韻連歌に加わる。

本遠寺

名古屋市熱田区

妙光山と号し、日蓮宗の寺院である。正安(1299〜
1302)のころ、日蓮の孫弟子日澄が熱田神宮内の
法華堂を移し、本堂として創建したと伝えられる。
永禄10年(1567)8月、連歌師の里村紹巴が当寺に
宿泊し、連歌の会を催したという記録もある。かっては
国宝に指定されていた室町時代の楼門があったが、
昭和20年の戦災で他の堂宇とともに焼失した。



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