三七松 羽島市 三七松 豊臣秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦い (1584)で、秀吉は不破友綱の竹島・加賀の井城 を攻めた。友綱は妻を離縁し実家の八神城へ 帰したが、妻は石田の地に着いて自害した。 家老の三七は墓標に椎松を植え殉死をとげた。 (他に様々な言い伝えあり)松は大木に成長したが、 大正4年に枯死した。松を切ると生血が出ると恐れ られたが、今は三七を讃える漢詩が残るのみ。 戻る