酒井正親


西尾城

西尾市錦城町

西尾城
別名西条城
足利義氏が、三河守護に任ぜられ、西条城(西
尾城)と東条城を築き、それぞれ長男と三男
に与え、後吉良氏と称するようになる。のちに
東西吉良氏が争い、やがて、今川氏・徳川氏
の勢力に呑み込まれていく。桶狭間の合戦後、
徳川家康は今川方城代を敗走させ、家康配下の
酒井正親が城主となり、西尾城と改名。1590年、
正親の子の酒井重忠が家康の関東移封に従う
と、三河岡崎城主田中吉政の持ち城となる。









龍海院

岡崎市明大寺町



龍海院
この寺は別名「是字寺」と言われています。松平清康
(家康の祖父)が20歳の時、左手に「是の字」を握る
夢を見、その意味をある僧に占わせたところ、「是」は
「日の下の人」であり、「是の字を握るは天下をとること
なり」と出たので、大層喜び、この僧のために一寺を
建立したのが龍海院だと伝えられています。以後、
清康の家臣酒井正親の菩提寺となりました。また
、家康の継母真喜姫(田原御前)の墓もあります。



酒井正親の墓


真喜の方の墓


酒井広親の石宝塔

岡崎市岩津町申堂

広親は、松平初代親氏の子で、酒井家の祖先です。
この墓だけ信光明寺から離れて岩津小学校の隣接
地に祭られていますが、これは、幕末までの寺領が
いかに広かったかを物語るものである。この石宝塔
は、市内で最も古い墓塔の一つといわれています。

広親は松平氏の始祖親氏の子とされる人物で、松平
(徳川)家の重臣酒井氏の祖となった。石宝塔の銘文
は、広親が長禄3年(1459)に没したことを記している。

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