酒井忠次


                    酒井忠次
                     
                     徳川四天王の一人。       
            

                                  井田城                     
                     
                               愛知県岡崎市井田町

                     織田信長が、家康の正室・築山殿と長男・信康が武
                     田勝頼と内通していると疑いを持った時、酒井忠次は
                     その疑義の多くを否定しなかったため、家康は、二人
                     を処断せざるを得ない状況に追いこまれた。
                     その後、家康は、織田信長と酒井忠次に対する心の
                     しこりが残ったといわれる。
                     その後、知行地の割り当てでは、長子・酒井家地は
                     下総碓井3万石と他の四天王と比べて低かった。
                     酒井忠次は、家康に不満を訴えるも、家康は、
                     「おまえも自分の子が可愛いか」と。

                                 福谷城
                     
                               みよし市福谷町市場

                     

                      福谷城は、室町時代(15世紀後半)に築造された
                      戦国時代の平山城。
                      城主は、後に徳川四天王の一人と言われた酒井
                      忠次、地元の土豪原田氏重の名が伝えられ、
                      尾張、三河が緊張関係にあった16世紀中葉には、
                      柴田勝家を将とする織田方と激しい攻防があり、
                      多数の死傷者があったと伝えられている。

                                 福谷寺
                     

                     徳川初期福谷城陣屋跡に、故人を弔うため念佛の
                     道場として創建されたと伝えられる。


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