坂部城跡



知多郡阿久比

坂部城は、久松定益が築城したと言われる平城で、
当時は阿古屋城、阿久居城とも呼ばれたと言われている。
「尾張誌」には、「坂部村には、其跡東西40間(約73m)、
南北50間(約90m)、英比(あぐい)の城ともいう。
久松佐渡守菅原俊勝の居城なり」と記されている。
徳川家康の於大の方は、天文16年(1547)、坂部城主
の久松俊勝のもとに再嫁し、俊勝が岡崎城代として
移るまでの15年間在城した。その間、熱田や駿府
で人質の身であった家康に、励ましの手紙や衣類
を贈り続け、後に徳川家康の運命や人間形成に
大きな影響を与えたと言われている。



桶狭間の戦いを控えた永禄3年(1560)5月17日、
於大の方と家康(当時、松平元康)は、この地で
母子16ぶりの感激の再会を果した。
天正5年(1577)佐久間信盛におとしいれられ、
城主の久松信俊(俊勝の長男)は大阪四天王寺
にて切腹させられた。坂部城は信盛の手勢によって
攻められ、落城炎上したと伝えられている。



棉畑


坂部城へ嫁いでこられたお大の方(徳川家康
公の生母)は、里人に棉の栽培をすすめ、自ら
も棉づくりに励まれたと言われています。


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