森蘭丸
森蘭丸
岩村城
岐阜県恵那市岩村町
武田氏滅亡後は、美濃国岩村城主に任じられている。
可成寺
岐阜県可児郡兼山町
森坊丸・森蘭丸・森力丸の墓
三人とも本能寺にて討死
森長可の墓 森可行・森可隆の墓
阿弥陀寺
京都市上京区
天文年間(1532-55)に清玉上人が近江(滋賀県)の
坂本で開創。織田信長の帰依を得て京の地に移した。
1582年(天正10)信長父子が旧本能寺で自刃したとき、
上人が密かに骨灰をあつめてこの寺に葬ったという。
本堂の本尊阿弥陀如来像の傍らに信長、信忠の像、
境内に信長父子および森蘭丸ら120余人の墓がある。
森長可
美濃国金山城主。武蔵守。池田恒興の娘を妻にしている。
長久手の戦いでは、仏ヶ根の決戦で奮戦して、一時は徳川
軍を退却させるほどであったという。しかし、井伊直政軍の
鉄砲の一斉射撃にあい、眉間をうちぬかれて戦死した。
長可は、本能寺の変で死んだ森蘭丸の兄で、
美男子であったと伝えられるが、勇猛な戦いを
するので「鬼武蔵」と呼ばれ、敵から恐れられた。
長久手古戦場
愛知郡長久手町武蔵塚
古戦場公園の西300mに、その戦死地の碑「武蔵塚」がある。
武蔵塚
愛知郡長久手町武蔵塚
森長可(1558〜84、庄蔵、武蔵守)の戦死の場所
と伝えられています。長可は美濃(岐阜県)金山城
主で、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの時
は、秀吉に味方しました。舅池田恒興らとともに、家
康の本拠地岡崎を突こうとして失敗、4月9日の仏が
根の戦闘で戦死しました。長可は、天正10年(1582)
の本能寺の変で、信長とともに落命した蘭丸の長兄
で、勇猛果敢な武将として知られています。塚名は、
異名鬼武蔵にちなんで名付けられたものです。
金山城趾
蘭丸産湯の井戸
1565年秋、蘭丸が金山城にて生まれる。
織田信澄邸址と森蘭丸邸址
安土城
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