尾張藩


名古屋開府400年

今から約400年前の1610年。名古屋城の築城が始まり、
人も商いも、町名までもが、清須のまちから、まるごと
名古屋に引っ越しました。このように、1610年に名古屋
のまちがつくられ始めたことを開府といい、それから
400年後の2010年を「名古屋開府400年」と表している。

名古屋城

名古屋市中区

明倫堂

名古屋市中区

明倫堂は尾張第9代藩主徳川宗睦が、藩士の子弟
の教育のために建てた学問所(藩校)である。

高須城

岐阜県海津市海津町高須(歴史民族資料館)

家老

犬山城

愛知県犬山市

成瀬屋敷門

稲沢市祖父江町

明治初めに名古屋城内から移築。
犬山城主で尾張藩付家老だった成瀬家の門という。




渡辺兵庫頭規綱

昭和美術館にて

今尾城

岐阜県海津郡平田町今尾

重臣

赤目城


愛西市赤目町

金刀比羅神社

名古屋市西区

名古屋城築城当時より城内三之丸の重臣大道寺氏邸
に祭られていたが、安政6年(1859)この地に移された。



石河邸

羽島市竹鼻町駒塚

代官所

清須代官所跡

西春日井郡春日町

北方代官所

一宮市北方町北方字西本郷

佐屋代官所址

佐屋町

小牧代官所跡

小牧市

水野代官所

瀬戸市中水野町

水野代官所(一名は陣屋という)は春日井郡と
愛知郡の一部、百九箇村を治める尾張藩の地方
政庁として、天明元年(1781)この地に置かれ
た役所である。初代の代官には当地随一の名門
水野氏の嫡流として、すでに御林方奉行職とあっ
た水野正恭(号水野権平)が兼任を命じられた。

鳴海代官所
光明寺
名古屋市緑区鳴海町字丹下・光明寺


鉈薬師

名古屋市千種区

寛文9年(1669)明国の帰化人、張振甫が、もと
上野村陽光院(現、永弘院)にあった薬師堂を、
尾張二代藩主徳川光友の援助を得て移したもの
で、医王堂ともいわれる。堂内には本尊の薬師
如来座像のほか、鉈彫りで有名な円空(江戸
時代初期の僧)作と伝えられる。日光・月光の
二菩薩・守護神の十二神将の像が安置してある。
境内に、画人中林竹洞や山本梅逸らの碑がある。



御下屋敷跡

名古屋市東区葵1

尾張2代藩主徳川光友は、休息と饗応の場として、
延宝7年(1679)この地に6万4千坪の広大な
「御下屋敷」設けた。その後、代々の藩主によって、
それぞれの時代と好みを反映した手が加えられてきた。
広大な庭園は池を中心とする池泉回遊式の庭園で、
享保20年(1735)には、7代藩主宗春が8代将軍
徳川吉宗から拝領した朝鮮人参をはじめとする
薬草を栽培する「御薬園」も設けられた。宗春は
幕府の方針に反する施策をとったため、晩年は
この屋敷に蟄居させられ、余生を送った。



名古屋市白壁・主税・撞木町並み保存地区

名古屋市東区

この地区は、名古屋城の東にあって、築城の時に
つくられた町の一部です。江戸時代には、中級士族
の屋敷が並んでいました。当時の藩士で「鸚鵡
籠中記」の著者として有名な朝日文左衛門の屋敷
も主税町筋にありました。明治から大正にかけては、
多くの貿易商や財界人が移り住み、広大な敷地を
有する閑静な住宅地に生れ変わりました。

主税町長屋門




主税町長屋門
この門は江戸時代のもので、当時の位置に残る名古屋
城下も武家屋敷の長屋門としては唯一のものです。
江戸時代、主税町付近には尾張藩の中級武士の屋敷
がありました。長屋の一部に門を設けた形式のものを
長屋門と呼び、中級武士の長屋門としては一般的でしたが、
石高・役職などで規模や形態が違っていました。
この門に付している出格子付き番所(武者窓)は、
武家屋敷のみに設けることが許されたものです。
門の築年、創建者は不明ですが、江戸中期の城下図には
平岩氏、幕末の城下図には室賀氏に名前があります。
明治時代には第三師団長官舎、昭和22年頃から43年頃
までは、佐藤氏の屋敷門として使用されていましたが、
その後塀及び長屋の一部が撤去され、現在の大きさになり
ました。アーバニア主税町の建設にあたり、歴史的資源を
活かした魅力ある町並み景観とするため、長屋門を修復して
保存し、長屋門内部も地域交流を育む場とし整備しました。

興正寺五重塔


興正寺五重塔
興正寺は、天瑞円照が貞享5年(1688)2代藩主光友
の許可を得て建立した真言宗の寺院である。
この塔は、文化5年(1808)興正寺七世真隆のとき
建立された。初重3.9m角の小規模な塔で、塔身が
細長く、相輪が短い点で江戸時代後期の塔の特徴
をよく示している。しかし、基壇上に建って土間床とし、
心柱が心礎上に立つなど古式を伝え、全体に装飾
が少なく、建築様式は和様の手法でまとめられて
いる。愛知県内で現存する五重塔では一番古い
塔で、昭和57年重要文化財に指定された。


名古屋市昭和区八事本町

尾藩祖廟








東照宮

名古屋市中区

東照宮は元和5年(1619)尾張藩祖義直が、
父・家康の霊をまつるため名古屋城内三の丸
に創建、明治9年(1876)にこの地に移され
たが、昭和20年戦災により焼失した。
現在の社殿は、義直の正室高原院の霊廟で、
万松寺内にあったものを大正3年(1914)建中
寺に移し、更に昭和28年に東照宮社殿として移
建されたものである。棟札によれば、慶安4年
(1651)の建物である。愛知県指定文化財

春姫(はるひめ)
尾張藩初代藩主徳川義直の正室。父は
紀州藩初代藩主浅野幸長、母は正室の
池田恒興の娘。号は高原院。寛永14年
(1637)37歳で死去。萬松寺に葬られる。
義直と春姫の間には子供が生まれず。
側室の子である徳川光友が継いでいる。








日置神社

名古屋市中区


日置神社内

尾張国尾張藩の第2代藩主・徳川光友が祀られている。

瑞正寺の宝塔

清須市土器野

日本一の宝塔
瑞正寺境内に高さ4.5mで日本一といわれる宝塔がある。
この北方に尾張藩の刑場があり、処刑された罪人の菩提
を弔うために、1815年に建てられた。二人の有志により
発起され、自らは家財をなげうち、8年をかけて成就した
もの。江戸で作られ、船で運ばれ、新川をさかのぼった。
以来宝塔様として知られ、処刑者がこの前を通るときは、
合掌礼拝し、その後処刑されたという。



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