小里光忠


小里城

瑞浪市稲津町小里字城山

小里城
瑞浪市稲津町内には、中世初頭にかけて当地を
治めた領主「小里氏」の居城とされる城跡が三ケ所
あり、小里古城跡、小里新城跡、小里城山城跡と
呼ばれています。その中でも小里城山城跡は最も
規模が大きく、また平坦面(曲輪)なども良好な状態
で残っています。この山城の築城時期については
明らかでありませんが、小里光忠が当地を所領した
天文元年(1532)頃、あるいは織田信長と武田氏と
の攻防の最中であった天正2年(1574)と考えられ、
元和9年(1623)幕府からの命により小里氏が断家
となったことにより廃城となりました。曲輪は、城山の
北側山麓(御殿場跡)と山頂(本丸跡)に確認されて
おり、「御殿場跡」は標高差25mで、大手門と呼ばれ
る門跡(石垣)が残っています。また、「本丸跡」は標
高差180mで、石垣のほか天守台あるいは升形と呼ば
れる不等辺多角形を呈する石積みが確認されています。















興徳寺


小里氏の菩提寺。光明・光親・光重の位牌と墓がある。

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