大須賀康高


野場西城土塁

愛知県額田郡幸田町野場字城

@大須賀氏
大須賀胤重は故あって三河に来て吉良氏に仕え、
高常は酒井将監に仕え、胤高は大永7年(1527)に
野場城に生まれる。家康に忠勤し「康」の一字を賜
わり康高と改める。天正2年横須賀に2万石を賜う。
夏目氏
永禄6年(1563)三河一向一揆のとき夏目吉信、大津
半右衛門、乙部八兵衛等この城に拠る。松平伊忠に
攻められ落城する。以後廃城。土塁が認められる。






横須賀城






戦国時代末期この地方は西の徳川勢力と東の武田勢力
との境界地帯となって攻防が続いていました。天正2年
(1574)遠江国の要である高天神城が武田氏の手に
落ちました。天正8年(1580)徳川家康は、家臣の大須賀
康高に命じ高天神城を奪還するための拠点として横須賀
城を築かせました。康高が初代城主となり、以後、明治
維新に廃城となるまで288年20代の城主を数えました。

撰要寺



山門は横須賀城の不開門(あかずの門)
を明治の初め廃城時に移築したもの。

大須賀康高と大須賀忠政の墓


本堂西側石玉垣の中には初代横須賀城主大須賀康高
と二代と五代の大須賀忠政の墓がある。
さらに奥地には城主本多利長家の一族の巨大な墓塔群がある。

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