大久保彦左衛門


大久保彦左衛門忠教の墓


大永4年(1524)の松平清康による山中城攻略
の殊勲者であり、岡崎開市の功労者といわれる
忠茂をはじめ、三河物語の作者として、また天下
のご意見番として講談などで有名な旗本・大久保
彦左衛門忠教などの大久保家代々の墓所である。



長福寺


1547年6月、大久保家の初代宇津忠茂が長福寺に
葬られていらいら、大久保家の菩提寺になりました。
宇津家は後に大久保に改姓し、三河物語を残した
大久保彦左衛門の墓も死後は長福寺に葬るべしとの
遺言により、一族の墓とともにこの寺に建てられている。




額田郡幸田町

大久保忠教
徳川家臣・大久保忠員の八男。
通称・彦左衛門。三河物語の著者。

彦左公園






大久保彦左衛門屋敷跡

杏雲堂病院


大久保彦左衛門墓

立行寺

立行寺


大久保氏の発祥地

岡崎市上和田町字南屋敷

大久保一族の発祥地
この辺りは、三河譜代の臣として幕末まで続いた
大久保一党の屋敷があったところです。上和田
には城址があり、大久保忠教以降、代々の居地
でした。家康・秀隆忠・家光の三代に渡る将軍に
仕えた大久保彦左衛門もここで生まれています。
大久保一族の墓は竜泉町の長福寺にあります。
(案内板より)

でも、大久保忠教と大久保彦左衛門は
と同一人物だと思うのですが・・・・・・。




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