大桑城
山県市大桑
室町時代から戦国時代にかけて200余年にわたり
美濃国を中心に勢力をふるった守護土岐氏は、
天文4年(1535)、長良川の洪水をきっかけに、
山県市大桑地区に守護書所(守護の居館)を移し、
大桑城や城下町を整備しました。
大桑城はその後、斎藤道三に攻め入られて落城し、
守護土岐頼芸は美濃を追放されました。
大桑城は、守護土岐氏の最後の居館となったのです。
大桑城が築かれた古城山に足を踏み入れると、
今なお残りる遺構から、要害堅固な山城であったことを
感じることができます。そして、山頂から広大な濃尾平野
を望むとき―かってこの地を支配した一族の
興亡に思いを馳せることができるでしょう。
四国堀跡
大桑城下の谷筋をふさぎ止めるように造られた空堀と土塁の跡。
堀の深さ5m、幅約8mで、土塁の長さは約100mにわたり残っている。
「四国堀」と呼ばれるのは、尾張、伊勢、越前、近江の四つの国の
加勢を受けて築いたと伝えられることに由来。
六万墓
六万墓は、土岐氏と斎藤道三の戦いの後、
多数の戦死者の骨が埋められ、南泉寺の
仁岫宗寿が焼香を行ったとされる場所。
後年、、「戦死六萬墓」の石碑が建てられました。
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