奥村永福




能登末森城の籠城
天正12年(1584)、越中を領する佐々成政は、
前田利家が治める加賀・能登へ侵攻し、奥村
永福が守備する要衝末森城の奪取を図った。
成政は大軍で城を囲み、激しく攻め立てたが、
籠城軍も頑強に抵抗し、遂には利家本軍の
来援を得て城を死守、佐々軍は撤退した。
(末森城の合戦)戦後、永福はこの功により
利家から感状、甲冑、太刀等を拝領した。

一宮市木曽川資料館

一宮市木曽川町黒田

前田家に仕えた生涯
永福は天文10年(1541)に生まれ、荒子城(名古
屋市中川区)主・前田利春(利家父)、利久(同兄)に
仕えたが、主君信長の命で家督が利家に変わると、
前田を離れ、後帰参した。その後、利家に従い
幾多の合戦に参加した。文禄4年(1595)、秀吉から
豊臣姓を賜り、従五位下伊予守に叙任された。
慶長4年(1599)に利家が死去すると隠居し、家督
を譲った。寛永元年(1624)、84歳で死去。子孫は
代々加賀前田藩の家老を務めた。なお、永福の
父が奥村に住んだとされ、一宮市奥町には
永福出生地碑が建つが、清須での誕生説もある。

奥村永福出生の地碑



一宮市奥町・貴船神明社



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