桶狭間の戦いフォトA
鳴海城跡
名古屋市緑区鳴海町城
根古屋城ともいう。1560年桶狭間の戦いでは今川方
の岡部元信がこの城に配され、義元が討たれた後も
最後までたてこもって奮戦した。
その後、佐久間信盛、正勝らが城主となるも、1590年
廃城と伝えられる。
鳴海城跡公園
名古屋市緑区鳴海町城
大高城跡
名古屋市緑区大高町城山
大高城跡からの眺め
大高城は、1560年桶狭間の戦いの時、松平元康が
守っていたが、義元の死後三河に帰り廃城となった。
沓掛城址
愛知県豊明市沓掛町東本郷11
1560年桶狭間の合戦前夜に今川義元が宿泊した城
として知られている。
本丸とそれをとりまく堀、二の丸、諏訪曲輪が残って
おり、旧態をよくとどめている。
高徳院
愛知県豊明市新栄町
今川義元公本陣跡
高徳院内
今川義元の墓
愛知県豊明市新栄町
仏式の法名を印して建立された供養塔である。
今川義元の墓
愛知県豊川市・大聖寺
今川義元
戦国時代の駿河・遠江・三河の領主今川義元は
永禄3年(1560)5月19日、尾張桶狭間の合戦で
織田信長の奇襲にあって討死しました。
その時、首をとられた義元の胴体を家臣が背負
って当地まで逃れ、この寺に葬って、とりあえず
石の手水鉢をのせ墓石の代りにしました。
それが、「義元の胴塚」と言われる由来です。
嫡子上総介氏真は永禄6年(1563)父義元の三回忌
をこの寺で営み、父の位牌所として寺領を安堵しました。
その後、墓は整備され、毎年義元の命日には、地元
の人々により慰霊祭が行われています。
戻る